政府は23日召集の通常国会で所得が30億円を超える人に追加の税負担を求める法案を提出する。
所得が多いほど実際の税負担率が下がる「1億円の壁」と呼ぶ現象の是正が狙いだ。
岸田文雄首相が提起した金融所得課税の強化は封印し、限られた超富裕層だけの増税となった。
政府・与党は株式市場の反発を警戒し続けた。
所得税は給与などの所得が多いほど税率が上がる累進制で最高45%が適用される。
株式の売却益などの金融所得は給与と分離して一律15%の税率が適用される。
富裕層は金融所得が多い。
所得全体からみた税負担率は所得1億円を境に低下していく逆転現象が起きており、公平性の点で問題視されてきた。
政府は2022年末に閣議決定した23年度税制改正大綱で、是正策として所得が30億円を超える超富裕層に一定以上の税負担を求めるミニマム課税の創設を打ち出した。
所得の合計から3.3億円を引いたうえで22.5%の税率をかける。
この金額が通常の税額を上回る場合に差分を徴収する。
周知期間を設け、25年分から適用する。
1億円の壁という言葉が広く知られるきっかけは21年の自民党総裁選だった。
岸田氏ら各候補が「壁」の是正や金融所得課税の強化案を打ち出したところ、株価が下落する「岸田ショック」が起きた。
与党は市場の反発の強さを目の当たりにし、同年末の税制改正論議の主要なテーマとすることができなかった。
22年になっても警戒は続いた。
「金融所得課税の増税は市場に悪影響を及ぼすおそれがある」。
23年度税制改正に向けた議論が大詰めを迎えた11~12月も党内ではこうした声があがり続けた。
税制調査会幹部らが金融所得課税の強化を避け、超富裕層に絞った増税策で大筋合意したのは大綱発表の4日前の12月12日だった。
翌13日、宮沢洋一会長は記者団の取材に「30億円くらいの所得の方から少し付加税的なものを払っていただくことが全体のバランスとしていい」と語った。
財務省は10月4日の政府税制調査会(首相の諮問機関)で所得1億円超の納税者1.9万人の所得総額5.6兆円の内訳を示した。
そこで見えたのは非上場株の売却益が全体の3割を占め、上場株の2倍ものボリュームがあるということだった。
非上場株の売却で多額の利益を得たのは同族企業のオーナーやスタートアップの創業者などごく限られた層と考えられる。
こうした超富裕層への増税なら一般の投資家が売買する上場株への影響は限られ、株式市場への打撃は小さいという事情もあった。
1億円の壁の是正策を先送りせず、23年度大綱に盛り込むに至ったのにはいくつかの理由がある。
ひとつは少額投資非課税制度(NISA)を恒久化し1800万円の生涯投資枠を設けるという抜本的な拡充や、個人投資家のスタートアップへの再投資を促す制度の創設とあわせて決まったということだった。
岸田政権が打ち出した資産所得の倍増やスタートアップ創出元年に関する政策は富裕層に恩恵が偏りかねない。
「金持ち優遇だけではだめだ」と1億円の壁の是正に取り組むべきだという意見が与党税調幹部の間で広がった。
富裕層ほど税負担率が下がる現象について、初めて国会で問題提起したのは共産党の元参院議員の大門実紀史氏といわれる。
07年3月の予算委員会で分離課税が多い富裕層ほど国税の負担率が下がっているグラフを示し、「超高額のところは累進が崩壊している」と指摘した。
金融所得課税は戦後、制度変更を重ねてきた。株式譲渡益は1989年度に原則非課税から課税となった。
当初は申告分離課税と源泉分離課税の選択式で、源泉分離を選んだ場合は譲渡代金の1%の課税とごく限定的だった。
2003年度に申告分離課税に一本化され、上場株は本来20%の適用税率が10%に引き下げられる軽減税率が13年末まで続いた。
軽減税率の廃止にあわせてNISAができた。
財務省の税制担当者は「富裕層ほど税負担率が下がるという事象は相当長く続いてきた問題だ」と話す。
ミニマム課税の対象者は200~300人程度と予想され、税収も限られる見込みだ。
税負担の公平性を高める一手となるが、財政健全化に向けた効果はまだ小さい。
1億円の壁は今後も議論の的となり続けそうだ。